
中学2年のとき、初めてクラブを握った。
その頃から、ゴルフはただの遊びじゃなくなった。
高校に入ってからは、学校が終わると家とは逆方向の電車に乗って、毎日練習場へ向かった。
夕方から打ち始めて、気づけば空が真っ暗になるまで球を打っていた。
1日1000球。
練習しない日なんて、3年間で一度もなかった。
台風の日でも練習していた。
夜になって手のマメが潰れ、グローブが擦り切れた。
それでも痛みを感じる暇なんてなかった。
上手くなりたかった。それだけだった。
当時は「努力すれば上達する」と信じていた。
結果が出ない日は、ただ悔しくて、次の日も同じように練習した。
でも現実は、そんなに単純じゃなかった。
結果ばかりを追いかけた3年間

高校生活のほとんどを、練習場で過ごした。
授業が終わるとすぐに学校を出て、家とは逆方向の電車に乗った。
目的地は、いつもの練習場。
誰かと寄り道することもなく、まっすぐそこへ向かうのが日課だった。
家に着くのは夜。
夕飯を食べて、クラブを磨いて寝るだけの生活。
3年間ずっと、それが続いた。
中学3年の初めからティーチングプロに指導を受け、
高校に入ってからはツアープロのもとで練習を重ねた。
初めてのラウンドスコアは96。
それから少しずつ数字が縮まり、ベストスコアは69。
この「69」という数字を出した瞬間は、
それまでの努力が報われた気がした。
けれど、その喜びは長くは続かなかった。
次のラウンドでは80台に戻った。
理由が分からなかった。
昨日できたことが、今日はできない。
練習量は足りているのに、結果がついてこない。
“努力の限界”という言葉を、初めて感じた。
ツアープロに教わるようになってから、
正しい理論も、技術も、意識の置き方も全部学んだ。
それでも、思うように打てない日が続いた。
「理論を理解しても、身体がついてこない。」
頭では分かっているのに、体が反応しない。
そのギャップに苦しんだ。
気づけば、上達よりも“失敗を恐れないこと”のほうが難しくなっていた。
スイングを固めようとすればするほど、動きが硬くなっていく。
感覚を信じることよりも、間違えないことを優先していた。
今思えば、あの頃の僕は「楽しむ」という感情を完全に失っていた。
練習も、試合も、すべては“結果”のためだけ。
どんなに打っても満足できない。
ミスが怖くて、完璧を追い続けていた。
今の僕が打つのは、仕事の接待くらいだ

今の僕がクラブを握るのは、仕事の接待ゴルフくらいだ。
昔のように、練習場に通い詰めることはもうない。
でも、スイングを始めた瞬間に、
あの頃の感覚が一瞬で戻ってくる。
身体が覚えてる。
何千球、何万球と打ってきた時間が、今もちゃんと残っている。
それが、少し誇らしい。
当時の僕は、ゴルフを“戦い”だと思っていた。
誰よりも上手くなりたくて、誰よりも早く結果を出したくて、
ずっと焦っていた。
上手く打てても、喜びより「次も失敗できない」というプレッシャーが勝っていた。
でも今は違う。
ミスしても笑える。
上手く打てたら「お、まだイケるな」と軽く冗談を言える。
昔の自分が見たら、
「そんな気持ちでゴルフして何が楽しいんだ」って怒るかもしれない。
でも、今の僕にはこれがちょうどいい。
仕事の延長線でも、プレッシャーのないゴルフは、
単純に“気持ちいい”と思える。
結果を追ってた頃は、どれだけ当たっても心は満たされなかった。
今は、当たらなくても満たされている。
ゴルフの楽しみ方をようやく知った気がする。
たぶん、やりきったからこそ、こう思えるんだと思う。
本気でやってた頃を後悔してるわけじゃない。
むしろ、あの時間があったから今の僕がある。
ただ──今の僕が一つだけ言えることがある。
“打たずに上達”なんて、やっぱりありえない。
打たずに上達は無理。でも、“感覚を落とさない工夫”はできる

僕は今でも、「打たずに上達」なんて言葉を聞くと笑ってしまう。
そんな魔法みたいな話、あるわけがない。
どれだけ理論を学んでも、どれだけ動画を見ても、
クラブを振らなきゃ、球は飛ばない。
でも、今の僕にはもう毎日練習場へ行く時間はない。
仕事もあるし、家族もいる。
だからこそ、「感覚を保つための工夫」は必要になる。
それが、昔の僕にはなかった発想だ。
最近は、家でスイングの感覚を確認するために、
【DAIYA GOLF スイング525】を使っている。
正直、最初は半信半疑だった。
「こんなもので何が変わるんだ」と思っていた。
でも使ってみると、
“感覚を落とさないための道具”としては本当に優秀だった。
球を打たなくても、手の位置、フェースの向き、リズムのズレが分かる。
昔のように1000球打つわけじゃないけど、
「あ、今のは違うな」っていう感覚が戻ってくる。
打つことが上達なら、
感じることは“維持”だと思う。
そう思えるようになってから、
練習器具の価値を初めて理解した。
あれは「上達のため」じゃなく、「衰えないため」にある。
僕は今でも、上達を諦めたわけじゃない。
ただ、あの頃のように全てを捧げることはできない。
だから、できる範囲で続ける。
スイング525は、その“現実的な続け方”を支えてくれる道具だ。
終わりに:努力は裏切る。でも、続けた日々は残る

今の僕がゴルフに求めているのは、
「勝つこと」でも「スコア」でもない。
クラブを握ったときに、
“まだ自分の中にゴルフが残ってる”と感じることだ。
打つたびに、あの頃の景色を思い出す。
手の感触、音、匂い。
それがまだ消えていないことが、少し誇らしい。
ゴルフは裏切る。努力も裏切る。
でも、あの時間は裏切らなかった。
今でも、ちゃんと自分の中に残っている。


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